• ホーム
  • ブログ
  • 湯川サ高住ブログ「さんのーがーハイ!!」2022年4月

ブログ

湯川サ高住ブログ「さんのーがーハイ!!」2022年4月

ico_entry.gif 2022.4.7ra43-icon-update.gif

白洲灯台⑥.png

介護職の末永です。

白洲灯台①.png前回の『住宅通信 vol.13』にて「「安部山」の由来」と題して、安部山公園の名の由来となった篤農家・安部熊之輔について紹介させて頂きました。

その文中において安部熊之輔の生い立ちを説明する際に、祖父の岩松助左衛門について軽く触れさせて頂きました。今回、機会を頂きましたので、岩松助左衛門と彼の生涯を賭けた一大事業である白洲灯台についてご紹介します。

岩松助左衛門は文化元年(1804年)に長浜浦(小倉北区長浜町)に生まれました。余談になりますが、同年に生を受けた人物として幕末の水戸藩の中心人物である武田耕雲斎正生、さらに幕末にアメリカ公使として来日し、日米修好通商条約の締結に尽力したタウンゼント・ハリスなどがおり、助左衛門自身も幕末の嵐に大きく影響される事となります。白洲灯台②.png

助左衛門自身は18歳で長浜浦の庄屋となり、その後文久元年(1861年)まで庄屋を勤め続ける事となります。恐らく庄屋としても功績を残したと思われ、同年小倉藩から帯刀許可と併せて、海上御用掛、難破船支配役を命じられます。

この時代の日本の海上交通は盛んではあったものの、暗礁が多いにも関わらず灯台の整備はほとんどされておらず、来日した諸外国の関係者にダークシー(Dark Sea)と恐れられる程危険な状況でありました。慶応2年(1866年)にイギリスなど四か国と結ばれた改税約書(江戸条約)では長州藩が起こした下関戦争の賠償金を減額する条件の一つとして、全国八か所の灯台の整備が定められた程の状況だったのです。(なお、門司区白野江にある部埼(へさき)灯台も江戸条約の後に結ばれた大坂条約にて整備が定められた灯台です)

当然、小倉藩の海上交通もその例に漏れず、北九州沖は海上交通の要所の一つであるにも関わらず暗礁も多く、難破船支配役を仰せつかった助左衛門も難破船の余りの多さに灯台建設の重要性を認識します。

白洲灯台③.png文久2年(1862年)、助左衛門は藍島の西方約2kmにある岩礁「白洲」に灯台を建設する事を小倉藩に願い出ます。小倉藩からの許可は得たものの、当時の小倉藩は外国の脅威に対抗する為の砲台の建設、さらには長州藩との紛争などで到底建設費の援助などできる状況では無く、助左衛門は私財や 募金、さらには頼母子講(民間の相互的な金融組織)からの借金まで行い、建設費の捻出に奔走します。しかし、先にも述べた通り世は幕末の真っ只中。助左衛門の白洲灯台建設もその影響を受け、大きく混乱する事になります。

まず最初の混乱は、慶応元年(1865年)の第二次長州征討の失敗に伴う小倉藩の企救郡(現在の小倉北区・小倉南区)失陥によって引き起こされます。小倉城が落城の憂き目を見る様な状況では小倉の目と鼻の先にある長浜浦も混乱を避ける事は到底難しく、建設の中止を余儀無くされます。

それでも諦めない助左衛門は小倉藩に変わって企救郡の支配者となった長州藩に働きかけ、明治2年(1869年)に長州藩の許可を得て、再び灯台の建設に着手する事になります。この時は長州藩から米150石の援助を受けています。米1石が5~27万円程だったとされているので、中間の16万円とすると2400万円の援助を受けた事になります。

しかし、その援助も建設に介在していた他の大庄屋に横領され、一部しか使えなかった上に、難破船からの漂流物から利益を得ていた人々(当時、難破船からの漂流物は拾った者の物となっていた様です)からも強い反対を受けます。その様な悪条件を乗り越えて、明治4年(1871年)に灯台の基礎工事が完成します。白洲灯台④.png

しかし、同年に灯台の私設が明治政府によって禁止された為、助左衛門は白洲灯台の建設事業を無償で明治政府に引き渡す事になります。その後、明治6年(1873年)に明治政府によって木造の白洲灯台が完成しますが、助左衛門はその完成を見届ける事無く明治5年(1872年)に69歳で亡くなっています。この工事で岩松家は家産を失い、建設前年の文久元年に生まれた安部熊之輔も親族に扶養される事になりました。

助左衛門が建設を計画した白洲灯台は後に海上保安庁が1998年に定めた「日本の灯台50選」の一つに選ばれるなど、日本有数の灯台として現在も北九州沖の海上交通の安全に貢献しています。また、安部熊之輔の人生を振り返って見ると、幼少期に祖父の起した事業を間近で見た影響は確実にあると感じられ、助左衛門白洲灯台の建設は後の北九州の発展に大きな影響を与えたとも考えられます。

白洲灯台へ行くのは非常に困難ですが、小倉城下に初代の木造の白洲灯台(現在は1900年に完成した鉄と石を用いた物になっています)を模した建築物が建っております。その写真と現在の白洲灯台の写真を持って擱筆させて頂きます。

白洲灯台⑧.png



白洲灯台⑦.png

ico_write2_1.gif 2022.3.16
担当者ロゴ末永.png
末永介護士の郷土史シリーズにご期待ください!!

D47202204Line.png

前の月d47.png                          次の月d47.png

ブログ

北九州ヘルスケアサービス株式会社
〒802-0084 小倉北区香春口1丁目13-1-301